12月27日(水) フォークソング創世期

Fumi Fumi Sta~tio~n  平野 文です ども

「走れ!」時代からさかのぼり 昭和47年・1969年ごろからのおはなし
GSブーム終焉後のことです
17歳で始めたDJ番組のうち一本が 「フォークソングをあなたに」という
(いいタイトルでしょう)毎週ゲストを招くコーナーが目玉の30分番組でした
当時こそが フォークソング創世期で 
エレックベルウッドといったレコードレーベルが創設され始めていたのでした

「文ちゃん フォークソングって興味ある?」

ディレクターからそう声をかけられたのが その番組のDJ依頼でした
すでに始めていた番組は 洋楽専門
ドゥービーブラザーズ シカゴ ツェッペリン グランドファンク スリードッグナイト
CCR CSN&Y アメリカ クリーム クラプトン ・・・・・

仕事で 誰よりも早く こうしたグループの新曲を聴けるのは とても愉しかった
目下自分の興味はそっちが「ど真ん中」でした が
日本のその芽生え始めてきた まったく新しい音楽にも ひらめいた
なのでもちろん やらせてくださいの 即答 

当時は自覚はなかったけれど 
洋楽も邦楽も どちらもビートルズの影響を受けた同世代が 
まったく新しいジャンルの音楽を開花させていた 
今思うとほんとにゾクゾクするような時代に
たかが高校2年の分際で DJとして立ち会えていたのですね

そのフォークソングの番組にやってくるゲストというのは
ほとんどが 地方から上京して ラジオに出るのはこれが初めて
という人たち だったのでした
新しく立ち上げたエレックベルウッドといった 中央(東京)のレコード会社レーベルと
契約が成立して 晴れてレコードデビューを果たし 上京
その曲をかけてもらいに番組にやってくる そのDJが私だった というワケで・・・
それらのレーベルに所属していた人たちは ほとんどやってきました
(ただし 吉田拓郎さんは当時はまだ 広島在住だったのかな)

それまでの歌い手さんというのは (ナベプロ全盛期で) 歌謡曲の歌手 あるいはGS
いずれも 事務所が「商品」として成立させてからデビューに至っていたでしょう
だから フォークの彼らを間近に見て あまりにも「普段着」だったので ギャップがあった 
そしてほんとに普段着のままステージに立っていった 初めての世代だったのではないかな
しかも 自作の歌をうたうひとたち ということでも 初めてだったでしょう

非常に興味深い時代に 「中」にいることができたおかげで
曲に対しては(幸か不幸か) ファンではなく 仕事上のツールとして関わっていました
70年~80年代の 外タレ来日コンサートと フォークの大小ライブは ホントに通いました
それが のちの「走れ!」の選曲などにも反映できたので よかったと思っています 
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Commented by ユウ at 2006-12-28 04:24 x
 若い時期に、すごい経験なさっているんですねえ。やってきたフォークシンガーの方たちは、年下であろう文さんにどんな発言をしたのでしょう。ものすごく聞いてみたいです!やっぱり、つっぱった発言をしたのでしょうか。それとも、気さくで親しみやすい感じだったのでしょうか。
 リクエストさせてください、加川良で「教訓Ⅰ」  べたすぎるかしら・・。
Commented by yanchun at 2006-12-29 00:20 x
この時代のフォークの方々というのは、音楽的な伝説の他に
プライベートでのというか、お金の面での伝説も多いんですよね。

それこそ、全国ツアーを北から初めて南の終着点に付く頃には・・・

なんて話。

自分にも才能あればなぁ~。

努力も出来ないオラホより
Commented by 伝説のTAKA at 2006-12-29 00:28 x
まさに文さんはあの70年代のフォークブームを支えていた
お方の一人と言うことですね。
あの時代、ギターを持って歌うことで、世の中が変えられると
考える方々も多かったと思います。おそらく熱い話が番組内で
語られていたと想像されますね。

ワタシも髪を伸ばし、ギターを抱えていたギター少年でしたから
あの当時のフォークは好きで、特に「山平和彦」さんと
彼のバックバンド「マイ・ペース」が好きでした。
山平さんは名古屋で深夜放送のパーソナリティとして活躍
されていて「神様」と呼ばれておりました。
でも残念な事に交通事故で他界されて、もう彼の歌声が
聞けないのは残念ですが、あの時代のアーティストの方々が
今も現役で活動されているのを見ると、自分も頑張ろう!と
思うのであります。